我が「旅の人生」

 

1949〜65       小学校就学前から中学生時代

 

<田舎に遊ぶ>

旅行好きの祖父や祖母に連れられて頻繁に国内各地を旅行しました。また、小学校高学年になってからの夏休みは、当時、田園風景が広がっていた東京都調布市の親戚のお寺に一人で家族と離れて過ごしました。野原を駆けながら、夢中になって田圃で泥鰌、森の中でカブトムシや蝉を捕まえて遊んだ体験が、後に田舎に暮らしたいという願望を掻き立てる原点となりました。

 

1965〜68       高校生時代

 

<初めての旅行>

高校1年の夏休みに自ら初めて計画を立て友人と紀伊半島に旅行しました。乗車切符購入、宿手配、日程表作成、これら全てを一人で整え、添乗員ごとく3人を連れて一週間程度の旅行をしました。しかし、恰も彼らは我が儘な客人のように振る舞い私を悩ませました。例えば、白浜で遊んだ時「もう少しここにいよう」という友人たちを遮って列車に無理矢理乗り込ませねばならないこともありました。私は、全て案内書を見て調べていたので、行く先々の場所はその検証でしかなく、結果的には予定どおりに日程をこなすことが最も優先されることになっていました。帰ってきた時には満足感より疲労感の方が大きく、終始日程を狂わせようとする友人たちを恨みました。

 

<旅を学ぶ>

しかし、暫くすると、どちらが「旅」を楽しんだのだろう、果たして「旅」することとは何だろう、という思いが沸々と湧き上がってきました。彼らの方が、正しいのです。出会った場所、出会った人、それらを自身の素直な気持ちで感じていたのです。「旅」について、初めて学んだことでした。

 

<一人旅の始まり>

その後、季節ごとの休みの殆どを使って旅を始めました。北は東北から南は九州まで訪ねました。だいたいの方向、場所を決めると、小さな鞄の中に時刻表を携え、いつも一人で何の予約もなしに出掛けました。

 

<祖父からの支援>

年末年始に友人を誘って米屋に餅作りのアルバイトをしたことがありました。旅に出るための費用を稼ごうと考えたのです。しかし、そのことを耳にした祖父が私を呼びつけてこう言いました「旅行に行きたいのなら小遣いをやる。いつでも取りに来なさい」と。稼ぐ時間があったら少しでも多く旅をしなさい、というのでした。大袈裟に言えば一日24時間怒っているような、誰も好んで近づくことをしない、とても怖い人でしたが、旅行好きの祖父には本当に感謝しています。休みの前になると恐る恐る祖父のところに行き、行きたい場所を告げると小遣いをくれました。

 

<ある本との出会い>

海外旅行など夢のまた夢の時代の時代にあって、小田実著一日1ドル世界旅行の記録『何でも見てやろう』(1961年刊)を読んだ衝撃は計り知れないものがありました。それは、おおきな憧れとなり、また我がバイブル的な本となりました。

 

<人生の方向転換>

高校3年の前半までは理工系大学の進学を目指していましたが、カミュなどのフランス文学、ヌーベルバーグ時代のフランス映画などを通じて異文化に対する強い興味を覚え、急遽方向転換を決意しました。

 

1968〜1972       大学時代

 

<離島を訪ねる>

五島列島を含む九州各地を旅し(1968)、利尻・礼文島を含む北海道各地を約40日間、旧友と二人で車で旅しました(1969)。

 

<田舎暮らし体験>

旅するだけでは飽きたらず、田舎に住みたいと考えていたところ友人の誘いを受けて日本キリスト教団経営の乳牛牧場(岩手県二戸郡一戸町奥中山)にて居候として働きました(1970)。ここでの経験は人生の大きな布石となりました。

 

1972〜        東京脱出

 

<脱出資金作り>

大学卒業後、写真撮影の助手などの仕事をしました。その後、大井埠頭にて日雇いでの沖仲仕と呼ばれる港湾労働者となり東京脱出資金をつくりました。

 

<牧場暮らし>

春から秋まで、谷口牧場(山梨県北巨摩郡高根町清里)にて居候として働きました。都会から訪れる観光客との交流を主眼とした観光牧場で主に動物の世話をしていましたが、付帯設備としての民宿経営にも興味を抱きました。

 

<山での暮らし>

牧場では冬期間の仕事が余りないので学生時代よりスキーを通して馴染みの深い白馬村に仕事を求め、ロッジ・ベルデ(長野県北安曇郡白馬村北城)にて働きました。冬の期間の料理手伝いなどとして働いていましたが、春になると白馬村の自然の素晴らしさに感動しました。また、大自然の中で、都会に住む人たちをもてなす仕事に興味を感じ、田舎で小さな小屋を建てて宿泊業を営むことを将来の目標としました。

 

1974          日本脱出

 

<海外脱出資金作り>

田舎での定住を始める前に、是非ともリゾートの先進地があるヨーロッパの生活を見て歩きたいと考え、再び大井埠頭にて沖仲仕となりました。

 

<ヨーロッパ一人旅>

当時、飛行機は想像できない程の高価な移動手段でした。そこで、ヨーロッパへ行くには、二つの方法しかありませんでした。一つは、マルセイユまで一ヶ月以上掛けての貨客船でした。船は苦手なので、もう一つの方法であるシベリヤ経由を選択しました。それは、ロシアの旅行会社(インツーリスト)による、横浜からヘルシンキまたはウィーンへの行程でした。私が最初の行き先に決めたのはヘルシンキでした。それは、北から廻ってフランスに行こうと考えたからでした。

横浜より船でナホトカに渡り、シベリヤ鉄道、ソビエト国内航空、再びシベリヤ鉄道を使いフィンランドに入りました。その後、ノルウェー、デンマーク、ドイツ、オランダ、ルクセンブルグを経由してフランス至り、その後、スペイン、アンドラ、スイス、オーストリア、リヒテンシュタイン、ベルギー、イギリスとヨーロッパ各地を旅しました。ヒッチハイクとドイツで購入した自動車で、欧州とその他の国を含め18カ国を116日間掛け、主に田舎を訪ねました。地方に暮らす人々が、都市部の生活様式の模倣に偏ることなく、それぞれの地域の独自性に誇りを感じながら生活している様に大きな感銘を受けました。

 

■その他の旅

 

1976〜        夫婦旅行

 

新婚旅行を兼ねて、アラスカ(1976)へ行きました。スキーを楽しみ、またヨーロッパ旅行時代のアメリカ人の友人を訪ねました。また、インドネシア・バリ島(1977)へ行きました。海のリゾート地をたのしみました。

 

1982          工場視察

 

アメリカ西部へ山荘の建築材料となる丸太の生産工場を視察するために、友人である建築家と共に約3週間掛けて数カ所の工場を訪ねました。

 

1989          山岳映画祭に参加

 

第14回バンフ山岳映画祭にディレクターより招待され参加するためにカナダへいきました。映画祭の後、一人でカナダ西部を約1週間旅行しました。

 

1992          冒険とスポーツの国際映像・映画祭参加

 

第7回冒険とスポーツの国際映像・映画祭アヌシー大会に参加するためにフランスへ行きました、映画祭の後、一人でフランスアルプスを約1週間旅行しました。

 

2006          会議に出席

 

台湾の台北での観光客誘致のための会議に出席、その後、一人で北部を数日間旅行しました。

 

 

■あぜくら山荘の建設及び開業

 

1975          ホテルでの修業

 

ホテル・ドゥスポーツプラザ(新潟県南魚沼郡塩沢町)にて就労、元ヒルトンホテルの副支配人の下、レストラン、ルーム、フロントなど業務全般について勉強しました。

 

1975          資金作り

 

資金づくりのために再び大井埠頭にて沖仲仕となりました。

 

1982          会社設立

 

1976年取得の白馬村北城の土地にロッジを建設すべく、会社を退社し山荘経営のための自らの会社を設立しました。

 

1982          工場視察

 

山荘の建築材料となる丸太の生産工場を視察するためにアメリカ西部へ、友人である建築家と共に3週間掛けて数カ所の工場を訪ねました。

 

1983          テント生活

 

春から秋までの間、妻と3才の娘と共にテント生活をしながら、延べ300人以上の友人の手を借り、丸太の組上げを行い、山荘を造りました。


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